祖母の家と戦争

 子供の頃、私が生まれた島には戦争の名残がまだあった。

学校の花壇に花を植えようと掘り起こしていたら、昔のお金が出てきたことがある。多分、あれはお賽銭の一種だと思う。

防空壕の名残もまだあった。ヘルメットやお酒を入れるような金属のボトルが、転がっていたりした。

祖母の家に向かう間にある岬から見える湾には、戦争から取り残された錆びた船がみえた。白い砂浜、夏の爽やかな風、夏の眩しい陽の光、青く時に緑の夏の海、華やかな色の中に、時間に取り残された廃船。

祖母は戦争の話をしなかった。昔の事は話さない人だった。母の兄弟の1人が、戦後すぐに亡くなっている話になった時、戦後でなければお医者さんにかかれたかもしれないなと、ぽつりと言った。

子供を亡くすというのはとても辛いと聞く。祖母は辛かったんだろうか。それをどうやって乗り越えたんだろうか。話さないのは、心の中の一部に鍵をかけてたんだろうか。

同じ思いをしていない私には祖母の気持ちはわからない。祖母の気持ちは祖母にしかわからんのだろう。青い海、白い砂浜、緑の葉、赤い花。それが綺麗だと思えるのは幸せな事なんだろうな。

暑くなると、祖母んちを思い出す。家で氷を削って缶に入った練乳をかけたり、割りばしを指して作ったアイスキャンディ、川の水で冷やして岩に落として割ったすいか、蚊が入るからと部屋に吊った蚊帳と蚊取り線香の匂い。庭にあったボンプ。夏休みを費やして母と祖母に教わりながら織った絣の反物。

もう今は観ることがない景色。島が日本へ返還されて70年だそうな。

このブログの人気の投稿